エヴァンゲリオンに見る「わが社」と「私」

 『新世紀エヴァンゲリオン』の作者・庵野秀明氏とは同年代で、ウルトラマンやジャイアントロボなどに影響を受けるなど、私と原体験が似ています。

 それで、同作がテレビ東京で放映された当時、ネットを通じてウワサが入ってきて着目しました。即、DVDを所有し、関連図書を買いあさり、相当ハマりました。

 とくに庵野氏に共感するのは、生き難さが自分と他人の関係性、個人と会社の関係性に、ギクシャク感を拭えない主人公らに投影されている点です。戦後わずか15年後に誕生した私たち世代は、経済の急成長と生活の急激な変化に、乗っかり切れない感じを持ちながら生きてきました。
 私もひょっとしたら、庵野氏や主人公らと同様に、14歳で成長の止まった子どもなのかもしれません。

ある種異常な使命感

 あの頃は、松下幸之助や本田宗一郎、盛田昭夫などそうそうたる経営者が、異常な熱意で、社業を異常に発船させていた時代でした。彼らトップ経営者はまた、異常な使命感を持っていました。大八車に部品や資材を積んで、社長が牽いて専務が押すというような事業展開をやって、デカくなったのです。

 それに比べると、私たちが世に出た時は、もう大抵の会社組織が形作られていて、その一員となることを求められました。組織は、会社ばかりでなく、学校や部活動にも存在しており、私たちはその中で、がんばるしかないという世界に棲んでいたのです。

 戦後の大経営者になった人たちは、「わが社の存在意義は何か。もっと世を良くし、社会を照らすことはできないか」という気持ちでいたと思います。しかし、彼らより50年ほど後世の私たちは「飯を食う、家族を養う、会社で出世して給料を上げる。そのためにがんばる」くらいの頑張りでした。

矛先を向けたもの

 庵野氏は学生の頃、8ミリ映画を作ることに、その異常な情熱を傾けられました。そのまま、大人になって、14歳の感性を引きずって生きていくことを、世に認められました。彼は、エヴァンゲリオンに乗り込まされたのではなく、第三東京市で異性物と戦うという世界を造ったのです。

 ですが、大半の若者がそうであったように、私はエヴァに乗って、会社を動かしている搭乗員のひとりだと、自分に言い聞かせていました。

 ところが、25歳のある夜、小さい商社向けに物流の提案書を書いていた時のことです。わずか300坪程度の倉庫内の、レイアウト変更するアイデアをまとめていたのですが、その時、私はいわゆるフローの状態に陥りました。

 当時住んでいたみすぼらしいアパートの中で、
  ・していることに、完全に浸り
  ・集中している感覚さえ忘れ
  ・完全にのめり込み
  ・エクスタシー感で満たされて
夕方からはじめたレポート作成が、夜明けまで続いても、まったく疲れないという “ 異常な状態” でした。

 エヴァの主人公・碇シンジ君と同じく、シンクロ率400%とかいうような、異常値を記録したのでしょう。心理学で説かれる、「ほどほどのストレスが逆にパフォーマンスを高めた」という例です。 

 「わが社」と「私」というのは、エヴァ初号機と搭乗員シンジ君のようなそんな関係性から、異常値を上げる人間をつくり出します。
 それが、リーダーであり、テクノロジストといわれる人たちです。
 これを意図的につくるというのが、物流の事業者にも必要ではないかと思いますし、私もこれから、いろいろな試みをしてみたい領域です。

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